境内伽藍
今熊野観音寺境内

鳥居橋

当山を参拝するのに、泉涌寺参道から左に折れて観音寺に入ると真っ先に目を引くのがこの赤い橋「鳥居橋(とりいばし)」です。観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる川を今熊野川といいますがその川を越えるのが鳥居橋です。
古くからこの地には熊野権現社が鎮まっていたので橋の名前の由来となったとも言われております。

子護大師

私たちにとってかけがえのない宝物、それは子どもです。大切な子ども達を護り育んで下さるのがこちらの「子護大師」です。
弘法大師は観音寺を開創された方でもあります。どうぞお子様やお孫様方の心身健康・学業成就・諸芸上達・交通安全などを御祈願下さい。
お子様方のご祈祷のお申し込み等、詳しくは当山寺務所までお尋ね下さい。

五智の井

弘法大師が当山を開かれるときに錫杖をもって岩根をうがたれて湧き出した水が五智水です。
その五智水が井戸水として湧き出しているのがこの「五智の井」です。
今日なお清涼なる清水がこんこんと湧き出し、私たちに深き恵みの水をお与え下さっています。

本堂

現在の観音寺本堂の位置はかつての奥の院順礼堂にあたると伝えられています。
弘法大師が熊野権現とお出会いになられた最も神聖なる場所にあたります。

この建物は、正徳2年(1712)に宗恕祖元律師によって建立されたもので今なお多くの参詣者が集い歴史と法灯を伝えています。
西国霊場の巡拝者はまずここに参拝し御納経(御朱印)を戴かれます。

本尊は弘法大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩(身丈・一尺八寸)。
体内仏として熊野権現より授かった天照大神の御作の十一面観世音菩薩(身丈・一寸八分)が祀られています。
本尊は秘仏とされていて直接拝むことはできません。しかし代わりに同じお姿をされた御前立さまが立たれています。
脇仏は智証大師円珍作と伝えられる不動明王・運慶作と伝えられる毘沙門天です。
そのほかこの本堂には大聖歓喜天(聖天)・薬師如来・准胝観音・三面大黒天などのほか、京都七福神の祭祀として恵比須神をお祀りしています。  ここでは毎日早朝より当山僧侶によってご祈祷などが厳修されています。

大師堂

当山を開創された弘法大師をお祀りしているお堂です。
東山大師と呼ばれ大師信仰の方々のお詣りが絶えません。
不動明王・愛染明王・また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像もお祀りされています。

地蔵堂

檀信徒の方々の御法事など、おもに回向道場として使用されます。
地蔵菩薩が御本尊で十一面観音や弘法大師とともにお祀りされています。

なお、永代供養の御霊牌もこちらでお祀り申し上げ毎朝ご回向を申し上げております。

ぼけ封じ観音

大師堂の前に立たれる観音様が「ぼけ封じ観音」です。私たちをとりまく心や身体のぼけを取り除いて下さる観音様です。
毎日たくさんの方々がお引き受け御宝珠に願い事を込めて奉納されています。
この御宝珠に、お名前・持病治癒や健康長寿・ぼけ封じなどの御祈願を記入し、ご本堂にて御祈祷を申し上げぼけ封じ観音さまのおそばにご奉納させて頂きます。

観音様は、私たちが明るく楽しく生きがいを持っていつまでも元気に暮らせるように、といつも見守って下さるのです。

ぼけ封じ近畿十楽観音霊場について

このぼけ封じ観音様をお祀りする十のお寺があります。
「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」といいます。今熊野観音寺はその第一番札所となっています。

このぼけ封じ近畿十楽観音霊場を巡拝される方も多く納経帖や掛け軸に御朱印を受けておられます。
霊場の案内パンフレット・納経帖などは当山寺務所にございます。

第一番 新那智山 今熊野観音寺
第二番 
瑞應山 千本釈迦堂 大報恩寺
第三番 
恵解山 勝龍寺
第四番 
岩間山 正法寺
第五番 
秋葉山 玉桂寺

第六番 補陀洛山 総持寺
第七番 佳木山 太融寺
第八番 再度山 大龍寺
第九番 日蔵山 七寶寺
第十番 愛宕山 常瀧寺

稲荷社

当山の鎮守社として二社あるうちの一つが「稲荷社」で稲荷明神をお祀りしています。
大師堂の南側に位置し「熊野権現社」とならんで鎮座されています。

稲荷明神は京都伏見に鎮座され、日本全国の各地に奉祀される穀稲食貨の神です。
稲荷明神と弘法大師との関係はきわめて密接です。大師は東寺の門前に於いて稲を負いたる老人に逢い、これを祀って東寺の鎮守とされました。
稲を担っておられたところから稲荷と呼ばれるようになったと言われています。

稲荷祭にあっては伏見の本社より洛南九条の御旅所に来たり、東寺の南大門より内に入り金堂前で奉幣供養の儀式が行われ、還幸に際しては東寺の慶賀門(東門)にて奉幣供養が行われます。
このゆえに真言宗では稲荷明神を大切にし、また各寺院において鎮守として盛んに奉祀されています。

熊野権現社

当山の鎮守社として「稲荷社」とならんで鎮座されますのが「熊野権現社」です。
平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなくの頃、山中の光明に導かれこの地に来られ、そこで熊野権現と会われました。
大師に一寸八分の観世音を授けられ、永くこの地の守護神になると約束されたと伝えられています。

鐘楼

鎮守社の南側にこの「鐘楼」があります。この梵鐘の鋳造は古く太平洋戦争の時に供出されました。
しかし観音様のご加護によって元のままの姿で残されており、不思議な縁により現在の位置に戻りました。
昭和21年10月13日の修理された日付が入っています。

毎年大晦日には百八の除夜の鐘が突かれます。

五智水

当山を開かれた弘法大師が、熊野権現の御霊示に従い観世音をまつるのにふさわしい霊地を選ぼうと錫杖をもって岩根をうがたれると霊泉が湧き出しました。
大師はこの清涼なる清水を観音御利生の水として崇められ「五智水」と名付けられました。
爾来今日に到るまでこんこんと湧き出し、私たちに深き恵みの水をお与え下さっています。

金龍弁財天

当山の池の近くにて金色の巳(蛇の神)さまがお姿を現わされお祀りされたのがこの「金龍弁財天」です。
現在でも多くの信徒の方々がお参りをされご加護を受けておられます。

今熊野西国霊場

鐘楼横から五智水を経て山上の医聖堂に到るまでの参道に、西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏として奉安し皆様に巡拝して戴けるよう祭祀されたものが「今熊野西国霊場」です。
第一番より山上の第三十三番まで続いています。

森林の清々しい空気を満喫しながらしばらく静寂の中を巡拝されることをお勧めいたします。

医聖堂

本堂東側の山上にひときわ高くそびえ立つ平安様式の多宝塔です。
医と宗教がともに手をたずさえ人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立致しました。
この「医聖堂」には医界に貢献された多くの方々が祭祀されています。
平成28年丹塗りの塗り替えが施され、33年ぶりに鮮やかな朱色が蘇りました。

霊光殿

「霊光殿(れいこうでん)」当山檀信徒のための納骨堂です。
台座の上には阿弥陀如来が鎮座されています。

ご納骨について、詳しくは観音寺寺務所までお尋ねください。

茶室「福海寮」(※非公開)

英照皇太后の思し召しにより御下賜され、明治25年以来、清風白雨の中に百数十年の歳月を経た由緒あるお茶室です。(※非公開)

茶所

当山の法要・行事の際にしばしの間ご休憩いただくための施設です。

大講堂

赤い橋「鳥居橋」を渡って参道を進み、ひときわ目を引くのがこの「大講堂」です。
緑豊かな自然環境の中で周囲の堂塔伽藍とともに三階建ての美しい姿をたたえています。

冷暖房やエレベーターを完備した近代的施設でおもに当山で行われる法要・行事・檀信徒の方々の法事などの際に使用されます。

藤原三代の墓

本堂から北へ進むと、藤原三代の宝塔と呼ばれる3基の供養塔があります。
向かって左手より、藤原長家・藤原忠通・慈円僧正の塔と伝わっております。

  • 藤原長家(ふじわらのながいえ) 1005年8月20日~1064年11月9日
    平安時代中期の公卿・歌人。太政大臣藤原道長の六男。御子左家の祖。『千載和歌集』の編者として知られる藤原俊成の曾祖父に当たり、自身も勅撰集に44首の作品が入首するなど歌壇の中心的人物であった。

  • 藤原忠通(ふじわらのただみち) 1097年1月29日~1164年2月19日
    平安時代後期の公卿。摂政関白太政大臣藤原忠実の長男。父に代わり藤原氏長者となり、後に崇徳・近衛・後白河の3代に渡り摂政・関白を務めた。

  • 慈円(じえん) 1155年4月15日~1225年9月25日
    鎌倉時代の天台宗僧侶。藤原忠通の第六子・九条兼実の弟。青蓮院に入寺し天台座主就任は4度に及んだ。史観書『愚管抄』の著者としても知られる。

島津逆修の塔

藤原三代の宝塔からさらに奥に少し進むと大型五輪塔・左右には小型の五輪塔・月輪塔(円盤梵字塔)など計5基が横一列に並んだ見事な石塔群があります。
中央の大型五輪塔は、その銘文から16代島津義久の三女で18代家久の夫人である「亀寿」の逆修塔で島津義久が願主であることが指摘されています。
これらは鹿児島県で採石された山川石を用いてはるばる京都まで運ばれており、かつ5塔には全て慶長3年(1598の年号が見られることから、歴史的にも極めて重要な石造物群と知られています。


  • 逆修(ぎゃくしゅ)[また預修]
    生前に死後の菩提の為に善根功徳(善い行いを積む事)を修する事。生前に戒名を授かり、墓石、位牌に戒名を朱書きするなどは、その思想が転じたもの。